404,Yuichi Nakashima,中嶋佑一














中 嶋 佑 一 の 新 作 展

「 タ ッ チ / T O U C H 」 を

2 0 2 0 年 1 0 月 2 7 日 よ り

C a l o B o o k s h o p & C a f e / C a l o G a l l e r y に て

開 催 いたします


本 展 で は 「 感 触 ・ 痕 跡 ・ 転 移 」 を 主 な テ ー マ と し

衣 服 を メ デ ィ ア と し て 用 い た 立 体 作 品 と

平 面 作 品 ・ イ ン ス タ レ ー シ ョ ン 等 の 展 示 と な り ま す

他 に 過 去 の 展 示 を ま と め た 作 品 集 も 刊 行 し ま す











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自分はいつからか、衣服を作る衣裳家でしたが、その過程において心の中で流れていた時間のことをふとしたとき急に思い出したのでした。
自分にとって衣服を自分の手で作るとか計画する・デザインするといったことは、それがどんなに自分から 遠く離れた距離にあったとしても、
どこかでそれを着る誰かのことを想像して行うというものでした。

しかし一方で、自身の作った衣服が手元を離れ、その後どのような形で人々の間を生きていこうと、 その終わりまでを見届けることは
ほとんどない、ということでもありました。そのようなこと、それと似たようなことは世の中にたくさんあると思います。


人は未来のことを考えますが、その未来を生き始めた人からすると、過去は未来よりもその姿を想像することが時に困難だったりします。
それはおそらく、これからのことはまだ記述されておらず予期できないがゆえに未来を想像するほうが楽しみと自由に満ちていて、
自分にも何かを描ける余白があるように感じられ、
それとは逆に過去に関しては、過ぎ去った時間の記述が他者によって写真や言葉になされてしまっているがゆえに、
それ以外のことは起こりえなかったのだ、と 捉えてしまいがちで、そこには自分が入っていく場所がないかのように感じられてしまうから、
なのかもしれません。


自分が見るということが可能か不可能かや、それ自体をどう捉えるかによって、何かを想像する時の態度も変わっていくのだと思います。


人にまつわる衣服を作るという行為をやっていくうちに気づかされたことは、「人は自分の姿を見ることは一生ないのだ」 ということでした。
もちろん今は、多くの人が自分の姿を写真や動画に簡単に撮って見たりできるような、そんな技術を日常的に用いることが可能だし、
それにそんなものでなくても鏡で自分の顔などを映せばいつだってどれほどだって自分の姿形を見られるだろうと思います。

しかし、ここで自分が気づかされたことというのは、像としての自分の姿を確認するということではなくて、 実際の自分の姿を直接的には
確認することができないということです。
それは言い換えれば、自分にとっての他人にならなければ可能にはならない、ということでした。


自分は毎朝、顔を洗い、そのたびに、目の前にあった鏡で自分の顔を見る機会がありました。


そしてある時、写真に写った自分の顔を見ました。そこに写っているのはいつも自分が見ていた自分の顔とは少し違っていました。
それもそのはずで、毎朝見かける鏡に映った顔は反転した像であって、写真に写った顔はそのまま直に写った様子だったからです。 自分がいつも
鏡で眺めているなじみ深い顔は、他人がいつも眺めている自分の顔とは違うものだったのだ、と改めて知りました。 言葉で書き連ねると淡々とし
ていますが、その時に覚えた妙な違和感は忘れることがありません。 何か言葉にできない気持ちの悪さ、居心地の悪さ、というものもありました。


静止画である写真ですらそうなのだから、実際に直接に自分の姿を見るなんてことが可能になったら、どんなことになるんだろうか とも思いました。
とても気味の悪い思いをするのか、何か耐えられないことになるのか、それは永遠にわからないのかもしれない。 それを体験するとなれば、
心を平静に保てるのかという次元で怖くもあるけど、できないとなればどこか残念でもあり。


なので、「他人は自分にとっての鏡」という言葉がありますけれど、何かに触れることによって人と人は繋がり、自分では見えない自分の姿を
他者に投影することによって自身を確認していかざるをえないという点において、人と人はコミュニケーションを欲するのかなぁと思ったり。

また物理的なことにおいても、誰かが自分の代わりに豚を殺してくれなければ自分はそれを買って食べるという行動になることはなくて。

この世界で生きるために、誰かに会わなくても、何かと自分との間にはどこかの知らない誰かが介入しているという事はいっぱいあって、
それはおそらく、どこまでいっても人は孤独にはなれないっていう孤独を抱えながら生きてることになるのかなぁと。

そしてまた、誰かはまったく関係のない誰かにとっての希望や絶望になっていたりするのかもしれないな、ということを想像したりします。


作られて存在しているものはすべて少し過去からやってきて、それを見ることも聞くことも食べることも触れることも自分の体でそこに
いることさえも あんまり気にせずに、何かと関係したまま無関係に生きていける、そんな自由が未来というものの中にあるように思います。









中 嶋 佑 一 展 「 タ ッ チ / T O U C H 」


2020年 10月27日~11月14日 

Calo Bookshop & Cafe / Calo Gallery


大阪市西区江戸堀1-8-24 若狭ビル5階   ☞《地図》

tel  06-6447-4777 

E-mail  info@calobookshop.com

URL  http://www.calobookshop.com/

平日 12:00~19:00 (土曜~18:00 / 展示最終日~17:00) 

日・月曜=休 


地下鉄四つ橋線「肥後橋」駅 6・7番出口より1分

地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅 12番出口より5分